
　専門の文学者の書く日本語には，さすがに誤りと名づけうる箇所は少ないとして，これが一般の学生諸君の答案やレポートになるとひどい。たとえば試みにこの３月に大学を卒業する，かなり優秀な数人の書いた論文の中から，それぞれ漢字の誤りを指摘してみると，指適・徴妙（びみょう）・低辺（ていへん）・複帰（ふっき）・違棄（いき）・説定（せってい）・粉争（ふんそう）・裁培（さいばい）・括抗（きっこう）・背影（はいけい）・純料（じゅんすい）など，ざっとこういった種類をあげることができる。

（出典　石田英一郎　「東西抄」）

１　微光　復活　遺言　設計　景気　粋人

２　徹夜　復習　貴重　接触　契機　麻酔

３　微笑　拝復　遺書　摂取　傾向　垂直

４　顕微鏡　背腹　遺失　接種　模型　精粋

５　徹夜　報復　委細　設立　図形　心酔

［問４３］　次の文章の　ア　から　エ　に入ることばの組合せとして，正しいものはどれか。

　「である」論理から「する」論理への推移は，必ずしも人々がある朝目覚めて突如物の考え方を変えた結果ではありません。これは，生産力が高まり，交通が発展して社会関係が複雑多様になるに従って，家柄とか　ア　とかいった素性に基づく人間関係に代わって，なにかする目的で−その目的の限りで取り結ぶ関係や　イ　の比重が増していくという，社会過程の一つの側面にほかならないのです。近代社会を特徴づける社会学者のいわゆる　ウ　−会社・政党・組合・教育団体など−の組織は，本来的に「『する』こと」の原理に基づいています。そうした団体の存在理由が，そもそもある特定の目的活動を離れては考えられないし，団体内部の地位や　エ　の分化も仕事の必要から生まれたものであるからです。

（出典　丸山真男　「『である』ことと『する』こと」）

　　　ア　　　イ　　　ウ　　　エ

１　階級　体制　目的集団　業績

２　同族　制度　地域集団　業績

３　階層　体制　目的集団　職能

４　同族　制度　機能集団　職能

５　階級　体系　機能集団　価値

［問４４］　次のワク内の一文を下記の文章に挿入したい。　ア　から　オ　までの最も適当なところはどこか。

　もし現代が過去の集積の頂点であるならば，現代はつねに人類分化の頂点でなければならないし，従って過去を探求すると言うことは，ただ現代の源流を知的に認識し，これを確証すること以外に意味はないはずである。 

　「古典を読むということは，故人の言葉に耳を傾けることである。同時に，古典は過去の長い年月にわたって多くの人々に尊重され，愛好されたものであるから，古典を読むということは，それら古典を受け継いだ人々の心をも読むことを意味する。

　人は他人の伝記を読むことによって，人生の指針を与えられることが多いが，同時に，またそれ以上に自己の生活の回顧や反省によって，己の行くべき道を知ることが多い。自国の古典を読むということは，それと同じ意味で，自己を正しく知り，現在の自己を拡充する大切なよすがである。古典は，鏡に映された民族の自らの姿である。己の姿を見るのに，これに自惚れたり，これに卑屈であったり，またこれを歪めることがあってはならない。」

　　ア　古典に対するこの私の見解には，一つの常識的な歴史観が根底に横たわっている。　イ　それは，現代は過去の集積の頂点ではないという考え方である。　ウ　そして歴史はただ進化し，発展すると考えられるであろう。　エ　ところが事実はこれに反して，歴史には伝統の遮断があり，知識の停頓退化があり，暗黒の時代があり，光明の時代がある。　オ　故に歴史の探求は，ただ現代の確認のためにあるのではない。それは人間がうかつに落とし忘れたものを拾い探すことである。

（出典　時枝誠記　「国語教育における古典教材の意義について」）

１　ア

２　イ

３　ウ

４　エ

５　オ

［問４５］　次の文章の最後の空欄に入る文として，１から５のうちの適当なものはどれか。

　ある言語の明晰性とは，その言語の構造に由来するのか，その言語を用いる人々の心性，言語の扱い方に由来するのか。これら二つの因子は互いに独立するものではなくて，相互に原因結果的に結ばれているものであろうが，二つの面をいちおう分けて考えることができる。

　たとえば，本多勝一氏が例として掲げておられる『朝日新聞』の記事の次の一文を考えてみよう。

　運輸省の話では，シンガポール海峡は，東京湾，瀬戸内海のように巨大船の航路が決められ，対向船が違うルートを運行するよう航路が分離されていない。

　本多氏がこの文例についてそれが不明瞭だと指摘しているのは，「この記事によると，東京湾と瀬戸内海は航路が分離されているのか，いないのか」，それがはっきりしないという点である。氏は運輸省に問い合わせて，東京湾と瀬戸内海では対向船の航路が分離されていることを確かめた上で，それならばしかるべく措置すれば明晰になると，次の文例を提案しておられる。

　運輸省の話では，東京湾と瀬戸内海では巨大船の航路が決められ，対向船が違うルートを運行するよう分離されているが，シンガポール海峡は分離されていない。

　上の二つの文例はともに日本語の文であり，そこに用いられている語彙素材は同じであり，ただ文の構成の仕方が少々異なるだけである。「少々異なるだけ」ではあるが，一方の文に不明瞭な点があり，他方の文ではその不明瞭性が除かれている。日本語という同一の言語を使っていながら，これだけの差異が生じるということは，　　　　　　　　。

（出典　川本茂雄　「ことばとこころ」）

１　やはり日本語は，明晰を欠くといわざるを得ない。

２　日本語が明晰を欠くというのではなくて，むしろ日本語を使う人の心掛けの方に問題があるということになる。

３　日本語の明晰性について，結論を出すことは不可能ということになる。

４　いずれにしても言語というものの表現には，限界があることの証明であろう。

５　文章を読む側が十分心して置かねばならないということであろう。

［問４６］　文章中の「平衡感覚」の説明として，最も適当
